アチェの2年 2008年7月~12月● 深井戸完成!(2008年7月)2008年6月以降、次々に村のワーカーさんたちの工事によって、深井戸が完成していきました。 こんな感じ。 (2008年7月 ブランメー村) (2008年6月 グノンランブン村) 村の中に忽然と現れたその姿は、井戸、というより何かのモニュメントのよう。。 私たちスタッフは「スペースシャトル発射台」と呼んでいました。 自分でやっておいて(Goサインを出しておいて)なんだけれど、なぜ白!? (2008年7月 ルンタクヤ村) シャトル周辺で洗濯を始めるお母さんたち。 デザイン当初はシャトル…じゃなかった、井戸周辺には洗い場は設置されず、ここから水を汲んで、飲料水として使ってもらいたかったのですが、村との話し合いと、工事の際村人のリクエストをワーカーさんが(勝手に)汲んだことで、やっぱり洗い場が作られることになりました。 ここで洗濯をされると、今度は排水が問題になるので、より管理が大変になるのが、難しいところ。 でもまあ、やろうと思えば、難しくもないんだけど。やろうと思えば…。 お母さんたちは、「こうしてきれいな水で皆で洗濯(してダベる)のが夢だったのよ~♪ うれしいわ~~」とのことで、大変ご満悦の様子。そのよろこびを管理にも役立ててくださいね。 ところで上の3枚目の写真の蛇口のところだけ、少し色が違うのは、もうペンキがはげてしまった、のでは決してなく、子供たちがつけた途端に「バキッ」と、蛇口を壊してしまったからです。 なにやってんじゃ、あんたたちは~~(泣) 蛇口というものに慣れていないので、まわせばまわすほどたくさん水が出るのだと勘違いして、5つ中3つを早速壊してくれました。そうか。。慣れていないのか…。 高度すぎる技術というのは覆うにして途上国の地域で受け入れられないというケースがありますが、そうか~ 蛇口も「技術」だったんだね。。と、改めて認識した次第。でも一回慣れるとあとは心配はない/減るはず。次ぎは、もっと簡単な、縦横にひねるだけの蛇口を設置しました。 つくる、供与する、までは単純なことですが、それをどう使うのか、使い方をどうやって改良していくのか、というのは、村によって異なるプロセスで、とても面白いです。 (2009年7月8日作成) ● ボランティアさんたち(2008年7月) アチェで実施された給水事業ですが、井戸を作っておしまいではありません。 2008年7月からは、インドネシア側のカウンターパートである団体を通して、この給水事業の一翼を担ってくれるボランティアさんたちのトレーニングが始まりました。 彼らは村の中に、衛生促進委員会と衛生促進ボランティアグループ(カドールと呼ばれていました)を組織して、それら村のグループを通して、衛生的な行動様式や知識を村の人々に伝え、定着させていくという仕事をしてくれます。 カウンターパートには、この事業担当のスタッフが4名おり、また3~4名のボランティアさんたちが参加してくれていました。 ↓の写真は、最初のボランティアトレーニングの際のもの。 すでに衛生促進活動のトレーナー(教授)トレーニングを受けたスタッフが、ボランティアさんたちのトレーニングを行います。内容は大手団体だけあって、よく構成されていました。しかしながら、その進行は…。朝ごはん食べて~ お祈りして~ ちょっとトレーニングして~ お昼ご飯食べて~…だから泊りがけで3日もかかる。。 ビレッジマップ(村落地図)を書く練習をしているボランティアさんたち。 時には村人の方が上手なことも。。。 参加者のボランティアさんたちは、大体は若い学生さんでした。何をしているの?と聞くと、大学生とのこと。でもほどんと毎日来ているのは、何故なのか…。 聞くところによるとこの町の大学は、受講数も少なく、時々試験があって、9年までに卒業できればいい。。というようなシステムらしい。 アチェと日本のボランティアの最大の違いは、日本とちがってここではボランティアは無償奉仕ではない。ということです。ほんのちょっとですが、お金がでます。最初はほんとうにびっくりしました「だって。ボランティアでしょう?」って。 だけれども皆やっぱり仕事はないし、村ほどでないにしても貧しいし。お金を出さないと、ほんとーーーにヒマをもてあましている裕福な人にしか、こういう機会が提供できないのかもしれません。。しかもそんな人、この町にはいないし。 なので特に将来を担う若い人が、ほんのちょっとでもお金をもらって、村の人たちと一緒に活動する機会を持つことができるのならば、ボランティアの無償にこだわるよりも、いいのかな。。と思いました。 しかしながらそれは難しいところで、こうした活動にお金をもらいすぎることに慣れてしまうと、もともと地域になった無償の相互扶助みたいなものにも、悪影響が懸念されるところです。 まあ、自分は有償で働いているのに、人にばかり無償を期待するのも、ヘンな話です。 私は個人的には、「もらえるものは、もらえる時に、もらっとけ!」と思ってしまいました。 3日間のトレーニングワークショップを終えて。 (2009年7月16日作成) ● 研修 2008年8月になりました。 この頃になると、対象6カ村の深井戸も着々と完成していきました。 そこで完成後の、村の深井戸管理運営と整備、修理のための研修が、村水管理委員会のメンバーを対象として開催されました。 こちらは深井戸管理運営のための講義の様子。 深井戸には地上ジェットポンプが設置されていて、電力で動きます。つまり電気が要る。 ミャンマーで事業を行ったときは、ディーゼルで発電機を動かさなくてはいけなかったのですが、ここはさすがインドネシア。電気は不安定とはいえ、ほとんどの村まで通っています。 講義では、ポンプ稼動のための電気代推算、集金の仕方、出納の仕方、記録のつけ方などを扱います。 村の会計は、だいたいどんぶり勘定ですが、どんぶりまかせにしておくと、不正が起きたり、大事なときにお金が無くて、修理ができずに井戸が無駄になってしまったりします。ここら辺は村の伝統的なシステムや考え方にも抵触する領域なのですが、村の人たちは講義中はハイハイ言っていても、後は自分たちの都合の良いように管理していきます。根気良く、モニタリングしていくひつようがあります。 講義が終わった後は、外に出て整備の実演。特に電気系統には注意を払います。 やっぱりこういうことは、皆好きそうです。。 でもほんとうかな~ ほんとうに整備してくれているのかな~ 今でも心配です。。 (2009年8月4日作成) ● 浅井戸建設準備 2008年9月になりました。 この月にはやっぱりラマダンがあったので、進捗はいまいち。 深井戸の建設は全対象村終了し、この頃から、浅井戸の向上と新規建設のための準備、調査が始まりました。 深井戸の水は飲料水として供給したものですが、浅井戸は洗濯や水浴びなど、生活用水の確保、拡充を目的としています。 井戸が全くない家や、あっても掘りっぱなしの穴を使用している世帯を対象としているのですが、中には既存の井戸が地震で壊れてしまって使えないという世帯もありました。 そうした世帯の井戸は、ほんとうに修復の必要があるのかどうか、確認を行います。 (2009年8月7日作成) ● またトバ湖に 2008年9月には、久々の同僚らとの会議の後、またトバ湖に行ったのでした。 その頃10名近くいた同僚たちの多くも、アチェの4箇所に散らばって活動しているため、なかなか会う機会がありませんでした。 1泊だけの強行軍でしたが、たのしかった! 気合を入れて気分転換しないと、気分は自然にはなかなか転換しないので。。 朝日を浴びるトバ湖 湖で洗濯をするおばさんたち。手前に見えるのは、もしかしなくても、ゴミ。 漁に出るおじさんたち。ピンボケですが。 (2009年8月13日作成) ● キョーフ!謎の発疹… 2008年9月にはなぜか仕事の記録や写真が少ないなあ… ラマダンだったからだっけ?? と思っていたのですが、そうだ、そうだ、思い出しました。大変なことがあったんだった。 日本人スタッフが一同に介した会議が終わり、トバ湖への強行軍も終わったある日、あれ~~と気がつくと、おなかのあたりに湿疹が…。そういえばこのへんにちょこっとポツポツできているのを、一週間前にも見たような気がする。。でも全然痛くもかゆくもないし、あんまり目立たないので、すっかり失念していたもの。そのまま、あれ~? あれ~??と、2,3日放置。 そして2-3日後のある日、あっ!と言う間に、「これは、マジ病気だろ!」という勢いで、体幹に湿疹が広がっている。改めてビビる私。。(遅い…) こういうときになって、初めて自分がエライ場所に来ているのだと実感します。 病院はあるけど、きっと行ってもあんまり意味がない。 医者はいるけど、診断が正しいかどうかアヤシイ。。 でもとにかく湿疹だし、人にうつすような病気だったらエライこっちゃ、ということで、念のために大事をとって事務所には行かず、スタッフの医師と同僚の看護師さんの診断を仰ぎました。 同僚の看護師さんは「う~~~ん?でも熱はないんですよね」、医師のスタッフは「多分」と言って診断を下してくれました。ここには書きませんが。で、結局よく分からない。。 湿疹はひどい、派手。でも本人は至って元気。熱もない、下痢もない、なんにもないどころか、休ませてもらってよく寝たので、元気になってきて、自炊して家でもりもりご飯を食べている。 しかし不安ではある。 結局ここでこうしていても、どうしようもないということで、大きな街(メダン)まで出て、病院に掛かるか、そのままばーっとシンガポールにまで出るしかない!ということになる。 私の時もそうでしたが、例えばデンギやマラリアに掛かった外国人の場合も、皆死にそうになりながら、バーっとシンガポールまで出てしまう人が多かったです。結局その方が、完璧な治療を受けられるし、保険も効くので。メダンだと、分かる病気の場合は早くても、検査に時間のかかる病気の場合、言葉も通じないし、ちょっと難しい。 実はその後数日経ったら休暇で帰国する予定だったのですが、予定を早めてシンガポールに出る。 この熱いのにマスクと手袋…という異様な風体。。 任地→ 小型飛行機に乗って、メダン→ 夜便にてシンガポール(所要時間丸1日) なんだか気のせいか、気分もよくないような気もする…。ああ~ どうなる自分!? シンガポールに到着し、そのまま病院に直行。とはならず、義父母の家に泊まる。症状を説明したら、元看護婦さんのお義母さんが、知り合いのお医者さんに予約を取っておいてくれました。でも皮膚科。皮膚科!??で、いいのかな?だって、湿疹なんでしょう?それもそうだ…。 なんだけれど、私の中では、もっともっと悪い病気のような気がしていたもので、血液検査とかしなくて、いいのかな~??と。 翌日、病院へ。 ここでもマスクと手袋という異様な風体。早く診て貰いたいのに、保険会社との調整で手こずる。日本の保険会社~~~(;;)つ、使えねえ!丁寧なんだけど、英語が分からないのか、全部ファックスで処理しようとするから、時間がかかる。しかもファックス、違うところに送っちゃってるし。。 ああ~~ もうダメだ~~ 待つこと30分(泣)、ようやく受診。 マスクと手袋をはずし、おそるおそるおなかを見せる私に、 「ああ、これは Pityriasis rosea ですね。」 診断、終了。(2秒くらい) ……ええっ なになに?ピテラ。。?なになに?? と、慌てる私に、「一応手のひら見せてくれる。はい、黄色くないね。じゃあ、Pityriasis rosea ですから、あと4週間くらいしたら、勝手に治りますから。」 なんだそれ~~~!!??!! ずーっと心配して、緊張していた私のこの数日間は一体なんだったの!??(勝手に緊張していたのだが) すっごくほっとしました。ここまで同行してくれた、マスクさん、手袋さん、ありがとう。(ちょっとマヌケだけどね)せっかくがんばって保険会社と連絡したので、お薬も(気休めに)処方してもらいました。3000円くらいだった。。 Pityriasis rosea ジベルばら色粃糠疹( - いろひこうしん)というのは、ウィルス性とも言われる皮膚病で、感染力も弱く、家族感染もほとんどなく、妊婦さんがかかっても安心というヘタレな皮膚病で、でも原因はなんだか良く分からない。ただただ派手! という皮膚病でした。 この謎さ加減も、チョー派手な湿疹が出来て、背中がクリスマスツリーみたいになることもあるけれど、かゆくもないし、4-6週間すると、ほうっておいても治る。という、 とにかく事なきを得て、よかったです。 今回はなんでもなかったけれども、なんでもある病気になったとしても、地元の病院も医師も頼れない、しかも頼れる病院と医師にアクセスするまでに体力を消耗してしまって大変…という状況はあんまり変わらない。病院まで行くことの辛さに耐えかねて、自宅でうんうん言いながら自己完治してしまう人も、この仕事では多いのですが、本当はいけないのですが、その気持ち、分かる。。 やっぱり頼るべきは自分の免疫力なのだ! ということで、すっかり明るい気分になって、休暇に突入したのでした。散っっ々人騒がせをした後に。。 (2009年8月13日作成) ● 浅井戸掘削中 2008年10月になりました。 休暇も終わって、お仕事再開です。とうとう浅井戸掘削が始まりました。 これらの井戸は、普通の井戸なのですが、大体6Mくらいの深度で、飲料水以外の生活用水確保のために供与が決まったもの。このあたりの村では、こうしたコンクリートリングを使った、コンクリートの洗い場のある井戸がまだまだ少なく、掘りっぱなしの穴から水を得ていたものを、政府の基準に合った井戸への向上させることになったものです。 トライポットを使って、工事はこんな感じで進みます。 別に普通の井戸掘りの風景なのですが、事故でも起こったらどうしようと思うと、怖い。。 一応ワーカーさんは全員障害保険に加入して、ヘルメットも至急して、SOPも作って、、とやったのですが…。 ヘルメットかぶってくれよ~(;;) 暑いのか、なかなかかぶってくれません。まあ本とに事故る時はヘルメットがあったからと言って、どうしようもないんだろうけどねえ。。 でも、そうえば、こうして村を歩いてみているときに、ひゅっと頬に風を感じたら、足元にボトっ。 ドリアンが頭上から落ちてきたことがありました。ドリアン爆弾。。あれはイガイガしているし、命中していたら、本当に命取りです。やっぱり現場にはヘルメットだ…! (2009年8月25日作成) ● 深井戸引渡式典 2008年10月20日には、深井戸全6基の完成を受けて、郡庁にて、各村落への深井戸引渡し、並びに浅井戸建設開始の式典を開催しました。 忘れもしない、この日は朝から大雨でした。 普段は45分くらいかかる道を行くのですが、その道路は雨が降ると洪水状態になって通れなくなるために、2時間ほどかけた回り道をして現場に向かいました。こちらの道もところどころ決壊しているわ、すべるわ、半分崩れているわで、結構しんどいのですが、なんとか時間通りに現場入りすることができました。 が!しかし、着いてみても、誰もいない…。雨は収まってきましたが、雨で村からの道がやっぱり洪水になってしまい、郡庁までこれない村人がたくさんいるようです。急遽お迎えのトラックを出しました。 そんなこんなしている内に、1時間経ち。。2時間経ち…。朝9時開始予定が始まったのは、11時過ぎだったかなあ。。ここらの式典は遅れることはしょっちゅうだし、1時間くらいなら遅れても普通ですが、2時間以上というのは結構待ったほう。でも待っている人はまんじりともせず(ダベりつつ)、しみじみと待っている。。待ち慣れています。 そうして無事に式典は開始→終了。 最後に引渡書に郡庁、インドネシアカウンターパート、村長らの署名をもらいます。サインのために並ぶ村長さんたち。 サインする村長さん。 この日は雨のためか、いい写真がほとんどありませんでした~ この後、深井戸のメンテナンスのための修理器具一式を譲与し、式典は終了です。 終わった途端にまたどばーーーっと雨が降り出しました。 式典の間の1時間だけ、雨がやんでくれたみたい。 村の踊り子さんたちも、ダンスを披露してくれました。ぬれなかったかな?たくさん待たせて、ごめんね~ (2009年9月4日作成) ● 道路問題 その1 2008年11月になりました。 とある問題を「11月までに解決する!」と宣言していたのですが、解決されていなかった月。。 2008年の8月、深井戸建設が終わって間もない頃でした。ある村(A村)からの帰り道、隣村(B村)を通過する時に、徐行していた車両の窓をコツコツと叩く人があったので、何気なく窓を開け、彼から手紙を受け取りました。 それを後部座席に座っていたスタッフに読んでもらうと、「うちの村にも井戸を掘れ。さもなければ、お前たちの車がこの道を通ることまかりならん」といった内容。。 え~~ん、ブラックレター(脅迫状?)を受け取ってしまった~~(;;) さっそくその足で偶然中心地の市場に出てきていたA村の村長さんを捕まえて、こんな手紙もらっちゃった旨を伝えました。A村ではまだ浅井戸の建設が残っているので、こうした妨害を受けると、事業が継続できなくなるかもしれません。 そもそも同郡には43の村があり、そのうちの6カ村を給水事業の対象村として選んでいます。より水確保が困難な村を1年近くかけて調査し、選出した訳ですが、こうした選定の基準というのも、どんなに理屈で説明しても、全員に分かってもらうのは難しいものです。 A村は水を確保するのに、乾季には30分~時には1時間以上かけて川まで水を汲みに行っていたそうですが、メインロードに面したB村では、その道路を渡った先に政府の作った深井戸がありますし、村内のイスラム学校にも深井戸があります。全体的に比較すると、B村の水確保の困難は、A村他5カ村に比べると、さほど深刻ではない、と判断しました。 とはいえやっぱりこれは外部者の判断。B村の人たちからすると、不公平にも思えたのでしょう。 という訳で、その時からずっと、私たちの車両はB村を通る道を通れなくなってしまいました。スタッフらは手を尽くしてB村の有力者らと話しをし、村長さん、郡長さん、国会議員さん。。といろいろ助言を求めたけれども、確たる解決方法はなし。本当は地方行政が事業の安全を確保する責任があるのだけれども、なんだ~かんだ~とうやむやに。どうやらこの地域では、郡長が村長に対して絶対的な権力を持っている、、というシンプルなヒエラルキー構造にはないようです。それはそれでいいんだけど、この場合困る。。 B村もA村と私たちの団体に対して、強硬姿勢だけども、A村も負けてはおらず、B村からリクエストのあった深井戸からの配水システムを即時却下。両村ともこの件については、協調するつもりはないもよう。。 A村とB村の村人の仲も険悪に。。なったわけではなく、村人同士は全然普通に行き来をして、B村の何件かは、A村の深井戸から水を汲んだりしていました。A村村長の第2(第3?)夫人もB村出身。 だから~そうやって(?)仲良くやってくれればいいのに~~(;;) 私たちの車両は別の村(C村)の農道を通る迂回路を通ってA村に来ていたのですが、こちらの道は雨が降ると一気にぬかるんで、とても工事の資機材を運べるような道ではありません。そうこうしている内に、政府が(選挙前に急に活発になって)、C村経由の迂回路を舗装することになりました。 やった~これでこっちの道を通って事業が進められるかな?と思ったら、舗装はC村までで、B村には届かず。。舗装の質が悪いということで、業者が政府に首にされ、業者も政府がお金を払わないということで、消えていなくなり…。計画ではC村~B村~A村までの舗装工事だったはずが、哀れC村までの工事で終わってしまったのでした。(その2へ続く…) やれやれ。。思い出しても、やれやれ。。です。 妨害という行為はいただけないけれども、個人的にはB村の人たちの気持ちも分からないではない。 しかし選挙前にこの件を使って、地域での発言力を強めようとしていた人たちもいたよう。。いろいろな要素が絡み合って、単純に水供給の問題でなくなってしまっているのが、おそろしいところです。 あんまり政治的な枠組みに巻き込まれないよう、注意しながら、解決を図る必要がありました。 人道支援的な行為といえども、全員が等しくHappyにはなれないのが、残念なところです。でもそもそも事業のリソースは日本の寄付者の人たちですから、こちらとしては、調査をして理屈を通して決めたことを、簡単に覆してバラマキに転じるわけにも行きません。 本当の「公平」とは何なのか?を考えさせられました。 ドリアンの季節です! (2009年9月7日作成) ● いつの間には配水管が… あれは確か2008年10月か11月、深井戸の引渡式が終了して、すぐのことだったと思います。 とある雨の日、現場の村々をモニタリングして回っている時のこと。同じく現場にいたカウンターパート団体のスタッフから、ある村の深井戸の水が出なくなっているという報告を受けました。 慌てたのなんのって。。 正式に深井戸を村に引渡してから、まだ数週間しか経っておらず、まさかもう壊れたのかと、現場に着くまで戦々恐々でした。 雨の降りしきる中、井戸の周りをうろうろと調べる私たち。。そのうち村人や、水管理委員会の人たちも、なんだなんだと集まってきます。「水が出ないの?」と聞くと、「うん、出ない」とのこと。ぎょえええ~~~(泣)泣きながら掘削を担当してくれた団体(の友人)のところに電話をしてしまいます。彼も水が出ない=壊れたとは信じられない様子。一体どうしたのか?? するとエンジニアのスタッフが、わかったわかったとニヤニヤしながらやってきました。 「村人はどうやら、配水管を設置したらしい。」 「でも井戸から配水管に繋ぐ場所が間違えている。」本当は一旦タンクに溜まった水を配水管に流すようにパイプを設置すべきところを、深井戸からの水が直接出てくるメンテナンスパイプにパイプを設置してしまったために、配水管からの使用量が増えると、水がタンクに溜まらずに“タンクからの”水が出なくなっているようです。 あ~~~ びっくりした。でも。。。 !?配水管!??? この事業では、深井戸と給水のためのタンク、蛇口、洗い場は造りますが、各世帯までの配水管の設置は行いません。もともとこの深井戸は(くどいようですが)飲料水用なので、全世帯の全用途に対応するようには設計していなかったのです。 しかしそれはこちらの計画。もちろん説明はしましたが、村は村で深井戸が出来てから話し合いを持ち、村のお金でパイプと蛇口を購入して、全世帯に水道を設置することにしたのだそうです。 …し、知らなかった~。 確かにもう供与は終わりだよ!後は自己責任でね!!と引渡しの時には言ったけれど、相談してくれれば技術的なアドバイスはできたのにな~。この村に関して言えば、運よく出水率は高かったので、配水ができるくらいのキャパシティはありそうです。完璧ではありませんが。 とはいえ。こうして援助したインフラが村人たちの考えを元に、村人たちの手によって、より使いやすく向上してくのを見るのは、うれしいものです。ヒヤッとさせられましたが、一転、嬉しい驚きに変わりました。 その後聞いたところによると、パイプは村全体のメインロードを通して、日本円にして3万円くらい。その後、それぞれの家がメインロードから自分の家までパイプを買い足してつなげるそうです。全世帯100軒あまりの小さな村です。それでも日本円にして3万とは、村人にとって決して小さなお金ではありません。しかしこの村は比較的マネジメントがしっかりしていて、村所有の結婚式用のテントや飾りものの貸し出しや、共有地にあるゴム畑やドリアン林の賃借料やなにやらで、村にいくばくかのお金があったそうです。 まだ配管設置の工事は終わっていないとのことでしたので、次の工事には呼んでもらえるようにお願いいしました。 で、工事…。こんな感じです。手で掘っているところが、なんとも。。村人総出で、金曜日の「ゴトロヨン」と呼ばれる公共奉仕の日に行います。 鍬もありますが、数が足らないようです。事業を通してこうした活動を活発化してもらい、必要な道具類も供与することにしていました。 配管の状態です。やればできる。(ちょっと曲がってるけど。。)やろうと思えば、結構なんでもできるんだよなあ。 やろう!と思い至るまでが、大変なんだろうなあ。。 この村では、以前は乾季には往復2時間以上かけて水を汲みに行くというほど、水へのアクセスの難しい村でした。今では「蛇口をひねると水がでる!前は夜水を汲みに行くのが怖かったけど、今は家で水がいつも得られる。」と、お母さんたちは、嬉しそうでした。 一度蛇口から水の得られる生活に慣れてしまうと、もう後戻りはできない、というか、したくないでしょう。深井戸を大切に長持ちさせてもらいたいし、これからもイザと言うときのために、お金をためてもらいたいものです。 この村の例は他の村も刺激したようで、ウチもお金をためて、配水したい!と言い出す村も出てきました。あくまでも外部に頼ろうとする村もありますが、こうして(とっとと)自分たちで動く村もあるわけで、その差もおもしろいです。 よいこらさ。 (2009年9月10日作成) ● ボランティア活動本格始動! 久々にシリーズ(?)「インドネシア アチェでの2年間」の更新です。 2008年12月から…。 この頃には、カウンターパート機関のボランティア活動も本格的に動き出していました。 ボランティア。。とは言っても、無給ではなく、有給で有る程度の責務を持っている活動体であることは、以前の日記に書いたとおりです。 さて、この週はボランティアさんたちより、「Personal Hygiene Kit Distribution(衛生キットの配布)を行いますから、来てください」とのこと。キットの内容などは、以前から話し合っていました。私は大体、物を買うときとか、お金のかかることには煩いけれども、やり方については結構お任せ。。という人だったので、「お、そうか、(本当に)やるのか」という感じで見に行きました。 とある村での配布活動の様子。 住民の出席率は、これまでになく、よい。やっぱり各世帯が対象になると、関心も当然ながら高くなります。いわゆるバラマキでしょうが、バラマキはいまや世界の潮流(?)ですよね。 こちらが配っている内容。 歯ブラシ、歯磨き粉、爪きり、石鹸、洗剤。。などが見えます。 住民にとっては見たこともない…ということは決してないのですが、買物としては、プライオリティが低く、使ったほうがいいのは知っているけれども、あえてあんまり使わない。。というのが歯ブラシや爪きりのようです。こうして「もらって」「使ってみて」使い続けてもらうことが目的です。 こうしたボランティアさんたちの活動をわりと放任にしていていたのは、第一に私の属していた団体とカウンターパート団体の関係性からして、私がいちいち指示を出すのはちょっと難しい構造にあったこと、またやり方として、人に指示されて完璧に行うのと、自分たちで考えてそこそこのものにするのだったら、後者のやり方の方が、本人たちには楽しいし、持続性もあるのではないかと考えていたからです。(あと、まあ、忙しくて後回しにしていたというのもある。) …だけどもさー 彼らの配布活動を見に行って、びっくりしたのは、本当に「配布」しかしていなかった…!ということです。配って、さようなら。住民も、あれーこれで終わり?という感じ。 おいおいおいおい。。 せっかくこんなに住民が集まっているのに、言うことないの?なんかスピーチでもしたら?配るだけでいいわけ?? と言うと、おおそうか、という感じで、早速スピーチをしてくれました。 これは別の村ですが、スピーチの様子。 しゃべれ、というと、即興でわりとまともなスピーチができちゃうのが不思議なところです。できるならやれよ~最初から、という感じですが。 日本人だと準備は万端で、肝心のスピーチでこけたりして…。インドネシア人は結構人前でしゃべるのに慣れているというか、好きみたいですね、注目を浴びるのが。 こんな感じで始動し始めたボランティア活動ですが、あぶなっかしいながらも、この後、だんだん良くなっていったような気がします。それはまた別の日記で。。 ちょっと宣伝。 11月14日にBS朝日で関連の番組をやるとか。私は観れないのですがー (2009年11月13日作成) ● ヒミツのピクニックに出発! 12月13日土曜日。スタッフのみんなと、ヒミツのピクニックに行ってきました。 なにがヒミツなのかとか、どうしてヒミツなのかとか、ここでさらしている以上、もうヒミツでもなんでもないんじゃないかとか、全てスルーで。。 アチェ州のチャランというところに行ってきました。ビーチがきれいで有名なところです。昔は週末には海水浴を楽しむ人たちでにぎわっていたそうですが、どうやら地震の前から廃れてしまっていたそうです。 総勢13名(だっけ…?)3台の車で出発です。道程は「3時間弱ですよ~」と聞いていたのに、4時間くらいかかったような…。あ、あいつらめ~~ 道すがらの景色です。なんか、唐突に崖が出現!?と思ったら… なんと森林の伐採後でした。あまりにも均一に伐採されて、しかも残りの木が多分燃やされた(?)後が、白く、崖のように見えたのでした。やっぱりというかなんというか、雨水が吸収されなくなったようで、大きな湖のような湿地が出現していて、さらに道路も水に沈んでしまっていました。ここを通るのに、20分くらいかかったかなあ。。 ビーチに着くまでも、みんな楽しそうでしたが、私的には戦々恐々でした。。なんといっても引率の先生(?)役なので…。ああ、楽しめない。ドキドキする…。 しかも途中で一回、警察に止められてしまった。。どうやら車両の許可証が云々とか言われている様子。ぎょえええ~~と思ったら、我らがスタッフの一員、医師で地域の名士とも親交が深い(らしい)Dr.Mがささっと現れて、何事が話して、にこやかに開放されました。。 ああ、持つべきものは地域権力と癒着…じゃなかった、親交のあるスタッフ。。 そんなこんなで着きました! チャランのビーチです。 なんにもない~~ ほんとビーチだけ。。 (2010年2月17日作成) ● ヒミツの魚釣り軍団 チャランのビーチに着きました!(前の日記の続き) まずするべきことはといえば…そう、腹ごしらえです! 腹が減った、腹が減った しかしあっという間にご飯を終わらせた男性陣(10/13人)。いつもの長ったらしい食後の一服もそこそこに、いずこへか視界から消えてしまいました。 ま、まずい…!(引率としては) そこで追ってみると、 釣りを始めていました。 みんなMy釣竿持参だった。。 そ、それでか…!「海に行きたい、海に行きたい、ピクニックに連れて行け~、連れて行け~」と煩かったのは…!!釣りに来たかったのか、君たちは~~~!!!(まあ、いいけどね) いつも仕事をしている姿しか知らないスタッフたちが、思いっきり釣りを楽しんでいる姿はなかなか新鮮でした。ムラボーって特に娯楽もないし、ムスリムはお酒を飲んだりするわけでもないし、どんなレジャーをしているのだろう?と思ったら、そうか、釣りだったのですね。 しかし釣りに夢中の男たちを引率するって、ほとんど不可能…。 連なる岩を超えて、さらなる漁場を求めて行ってしまいました。 ま、まって~(泣) 写真だと怖さが伝わらないかと思いますが、この岩を伝って行くのって、怖かったです。結構。しかも途中一箇所、岩と岩が丸太的倒木でつながれている場所があって。そういう場所を一緒に来たスタッフの子供(8歳)とか、ひょいひょい渡っていくのですよね。 ああ、この子が落ちたら責任重大…とか、スタッフが落ちたら責任重大…とか、そもそも自分が落ちたら一巻の終わり…とか、こわい想像がぐるぐるします。小心者ですから! でも渡る。 苦労して(苦労したのは私だけですが)やってきた甲斐あって、なかなかの釣りスポットを見つけたようです。ひたすらもくもくと釣り続ける人(そんな特技があったんだ~)、釣りなのにひたすらしゃべり続ける人(いつものとおり)、新しく買った釣竿が自慢な人(むしろそれのみ?)、いろいろです。 あまりにも激しい緊張と運動を強いられたために、岩の上で大の字になって寝ていました。 そうしたら、空がこんなでした。 やっぱり海は(空だけど)いいなあ。 戦利品です! みんな満足したかのかな? 帰りは恒例の、これです。 つ、疲れた~ 2年前の話ですが、今だったら、間違いなく、丸太から海へまっさかさまですね。 アチェではレジャーにもリスクがつき物。楽しみたかったら、自己責任でね!というお話でした。 (2010年2月18日作成) ジャンル別一覧
人気のクチコミテーマ
|